石破茂氏・総理大臣候補ですが、人望が無いとの人気が今一つのようです。
生年月日に描かれた風景はどんなものなのでしょうか?
総理大臣になることはできるのでしょうか?
石破 茂1957年2月4日 の命式
七赤金星
年 丁酉辛 比肩偏財 長生 辰巳
月 壬寅甲 正官印綬 死 辰巳
日 丁未己 食神 冠帯 寅卯
石破 茂1957年2月4日 の風景
丁未(ひのとひつじ)の日生まれ。
丁火は、たき火や月・ネオンサインや街灯がイメージ。
未は7月を表し、乾燥した夏の土。
夏の季節の野焼きのたき火だったり、場合によっては、京都の大文字の送り火などが想像されます。
石破茂氏の丁火は、月柱に寅木の薪を持っています。
しかし、薪の近くには壬の河水があり、2月という寒い季節でもあり、薪にするには湿っていて工夫が必要です。
また、丁未の自分に対して、丁酉が年柱にあり、丁・丁と壬の妬合しています。
これは、何かにつけて、ライバルと争うことが起こりやすい事を示しています。
丁未の目立ちたい自分に対して、相手は酉金を持った、自分より魅力を持っているようです。
なにか、コンプレックスを持っているのでしょうか?
頭の回転は速く、弁舌はたつのですが、甲の印が扱いにくい感じなので、勝ち急ぐと空回りしそうです。
主食していあす。
石破 茂1957年2月4日 の大運
大運は、30歳まで、冬運となっています。
この時期は親の運や環境が大きく影響します。
石破茂氏は、父親も政治家だったそうで、大学を卒業して、金融関係に努めました。
0歳 1ケ月 ~ 10歳 0ケ月 辛丑 偏財 墓
10歳 1ケ月 ~ 20歳 0ケ月 庚子 正財 絶
20歳~30歳 己亥・食神
食神・胎
1981年(24歳)辛酉・偏財、父・二朗が死去
1986年(29歳)丙寅・劫財 衆議院選挙出馬して当選。
30歳~ 40歳戊戌傷官養
戊戌(つちのえいぬ)
高い山やトンネルがイメージ。
1993年(36歳)癸酉・偏官
役職停止処分を受けたため自民党を離党。
癸は丁火を消します。
その後自由改革連合を経て新進党結党に参加。
1996年(39歳)丙子・劫財
新進党を離党。
40歳 ~ 50歳丁酉・比肩
比肩・長生
1997年(40歳)丁丑・比肩
3月、自民党復党
2002年(45歳)壬午
丁火は午火が根となって、十二運は建禄。
丁壬の干合。
第1次小泉内閣第1次改造内閣で防衛庁長官に任命され、初入閣。
50歳 1ケ月 ~ 60歳 0ケ月 丙申 劫財 沐浴
60歳~70歳 乙未偏印冠帯
乙は月支・寅木が根なって、丁火は薪がくべられて、燃え上がるエネルギーが強くなりました。
乙は草花、丁火にとっては、藁や小枝などの小さなエネルギー。
丁火が燃え続けるために必要な燃料エネルギーです。
知性・教養・アイディアですが、政治家さんにとっては、何を表すのでしょうか・
政治家としての情報力や手腕でしょうか?
丁火が燃え続けるのを応援してくれる星ですから、有力者や支持者など、人脈でもあります。
この10年は、細やかな配慮と実力を積み重ねて、有力者や支持者の信頼を厚いものにすることが、70歳以降、総理大臣の椅子が待っているようです。
ちょとでも目を離すと、乙は燃え尽きてしまいます。
細やかに目配りして配慮をおこたらないようにしなければいけない10年を乗り切ってくださいね。
2020年・庚子の運勢
2020年は、庚金の鉄を溶かして、使える商品にする!
「目的に向かって、いざ!」
という気持ちが強くなります。
しかし、大運の乙木は、草花がイメージ。
藁や小枝ですから、甲の樹木の薪と違って、丁火は長く燃え続けることができません。
また、2020年の年運の庚と、乙庚の干合することもあり、乙は自分の働きを忘れて恋愛状態。
2020年は、薪としての働きは不完全。
乙は偏印の知性・教養・アイディアや、また、応援してくれる有料者。
庚は正財、人脈・お金・女性です。
有力者や人脈が味方してくれない、違う方向を向いているようです。
また、子は12月を表し、冬の雪が冷たく、乙木を湿らせ、丁火のエネルギーを弱らせます。
石破茂氏の大運や年運から、こんな環境・状況を想像させることから、日本を背負っていく総理大臣は難しく、運は味方していないようです。
70歳 1ケ月 ~ 80歳 0ケ月 甲午 印綬 建禄
1981年、父・二朗が死去。
福田 康夫1936年7月16日
年 丙子癸 印綬偏財 絶 申酉
月 乙未丁 偏官偏印 冠帯 辰巳
日 己亥壬 正財 胎 辰巳
07歳 3ケ月 ~ 17歳 丙申 印綬 沐浴
17歳 3ケ月 ~ 27歳 丁酉 偏印 長生
27歳 3ケ月 ~ 37歳 戊戌 劫財 養
37歳 3ケ月 ~ 47歳 己亥 比肩 胎
47歳 3ケ月 ~ 57歳 庚子 傷官 絶
57歳 3ケ月 ~ 67歳 辛丑 食神 墓
67歳 3ケ月 ~ 77歳 壬寅 正財 死
77歳 3ケ月 ~ 87歳 癸卯 偏財 病
87歳 3ケ月 ~ 97歳 甲辰 正官 衰
2007年丁亥・偏印
9月、安倍晋三の突然の辞任劇。
当初、後継総裁の最有力と見られた麻生太郎を抑え、自民党の大多数の派閥の支持を背景に2007年自由民主党総裁選挙に立候補する。
麻生を破り、第22代自由民主党総裁に選出され、第91代内閣総理大臣に就任。
史上初の親子二代での総理となった。
2008年(平成20年)9月、内閣を総辞職し、内閣総理大臣・自民党総裁の職を辞した。
経歴
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