嵐山占い処・四柱推命占い師 泰 りかです。
今回は、新庄剛志さん、1972年1月28日の誕生日の風景と、性格や運勢を想像してみたいと思います。
新庄剛志氏が15年ぶりの現役復帰を目指して2020年12月7日、都内で開催されたプロ野球の12球団合同トライアウトに参加して話題になっています。
シート打撃では4打席立ち、3打席ノーヒットでしたが、最後の打席に一、二塁から元ヤクルトの育成左腕、日隈ジュリアス(23)からレフト前にタイムリーを放ち存在感を示しました。
48歳のスターのパフォーマンスに感動した人も多いのでは?
新庄剛志といえば、「新庄劇場」と表現された破天荒な行動や発言が話題になり、華やかな風貌とともに記憶に残っていますが、仲間思いでファンサービスの天才だったとも伝えられています。
新庄剛志1972年1月28日の命式
年 辛亥(壬) 傷官 偏財 絶
月 辛丑(己) 傷官 敗財 養 空亡
日 戊午(丁) 印綬 帝旺
空亡:子丑
新庄剛志1972年1月28日の風景
戊午の日生まれ。
丑月・1月の晩冬の山がイメージです。
冬の山は冷たい雪に埋もれて休眠している山・土です。
亥水の川が流れ、より寒い風景となっています。
冬の雪に覆われた山が一番欲しいのは、暖かい太陽の陽射し、丙火と巳・午の夏の季節。
そして、山には緑・甲木の植物が彩を添えて、美しい山の風景となりますから甲木と寅卯の春の季節。
命式の日支に午火があります。
年月の干に辛・辛が並んで、鉱物・宝石が隠された山。
新庄剛志1972年1月28日の性格
戊午(つちのえうま)
戊は山がイメージの陽の土。
午は6月を表し、陽の火・季節は夏。
戊の山の中に火のエネルギーを秘めた火山だったり、朝日が山のいただきから昇る風景
午火は1月の寒い季節に生まれた新庄剛志さんにとって、大切な暖かい陽射し、太陽。
火は戊土からの通変星は印星であり、母親の意味があり、お母さんが大好きなな人、少しマザコンかもしれません。
戊土は丑土が山裾となって広がるどっしりとした山、安定感とともに存在感がある人、情熱をもって行動する人となります。
冬の土の人は、春の季節が巡ってくるのをじっくりと待つ、忍耐強い努力家、「身旺」という強いエネルギーの持ち主でもあり、多少の苦労は苦労と思うことなく、亥水の潤いもありいじけたり愚痴をいう性格ではありません。
エネルギーが強い「劫財」は、おおざっぱで大らか、目先のことより長いスパンで考える男性的性格、面倒見の良い親分肌の人が多いです。
辛・辛の傷官・自己アピールの星が2個並んで、目立つのが大好きです。
恋人や結婚相手は、センスが良く頭の良い知的な美人を選びます。
午火・印綬が配偶者の位置にあり、母親のような包容力のある人を理想とします。
新庄剛志選手が活躍した時期
新庄剛志選手がプロ野球に在籍したのは
07歳~ 17歳 庚子 食神 胎
大運17歳~ 27歳 己亥 劫財 絶
1990年(18歳)・庚午
・2軍・腰痛あり
1991年(19歳)・辛未
・9月9日に一軍昇格。
1992年(20歳)・壬申・一軍に定着「虎のプリンス」という愛称が浸透し、中堅手に定着。
1993年(21歳)・癸酉・102試合
1994年(22歳)・甲戌・122試合
1995年(23歳)・乙亥・87試合
右足関節捻挫・右膝打撲などで出場選手登録抹消を繰り返し規定打席に到達できず、
1996年(24歳)・丙子・113試合
1997年(25歳)・丁丑・136試合
1998年(26歳)・戊寅・132試合
1999年(27歳)・己卯・123試合
大運27歳~ 37歳 戊戌 比肩 墓
2000年(28歳)・庚辰
・131試合
MLBのニューヨーク・メッツへの移籍
2001年(29歳)・辛巳・123試合
2002年(30歳)・壬午・118試合
オープン戦で50打席以上のナ・リーグ選手としての最高打率.426を残すも、シーズンでは最終的に現役引退の理由ともなった左内太股故障
MLB時代の2002年頃に原因不明の目の痛みを抱えていたことが、引退後に判明。
2003年(31歳)・癸未・62試合
丑・未の刑冲
2004年(32歳)・甲申・123試合
猛打賞12回(チームは該当試合で11勝)・打率.298(リーグ16位)とそれぞれキャリア最高を記録
2005年(33歳)・乙酉
・108試合
2006年(34歳)・丙戌・126試合
引退
2007年(35歳)・丁亥
12月28日に離婚
2008年(丁亥・印綬)二黒中宮
1月28日、株式会社レハサフを設立して取締役に就任
2008年(36歳)・戊子・比肩
新庄剛志1972年1月28日の大運
07歳 ~ 17歳 庚子 食神 胎
17歳 ~ 27歳 己亥 劫財 絶
27歳 ~ 37歳 戊戌 比肩 墓
18歳からプロ野球やCMで稼いだお金・20億以上を、管理を任せていた知人が使い込んでいたことが発覚。
身旺の命式では比肩・劫財運ではお金が残らないということでしょうか?
それとも、戊戌の高い山やダムによって、水が堰き止められた?
午戌の火局半会で水が蒸発してしまった?
残っていたお金は2200萬円だったとか。
そして、裁判で帰ってきたお金が8000萬円。
この経験から、お金の管理をしっかりとするようになったとのことです。
38歳 ~ 47歳 丁酉 印綬 死
2010年(庚寅・食神)
八白中宮・二黒土星艮宮の変化運に在泊
前半を最後にメディア出演がなくなり、この頃よりインドネシア・バリ島へ移住
47歳 ~ 57歳 丙申 偏印 病
57歳 ~ 67歳 乙未 正官 衰
新庄剛志1972年1月28日の特徴
戊午の帝旺日生まれ
空亡は「子丑」の初代運。
戊土は丑土が根となって、山裾が広がるどっしりと安定した山。
午火が戊土をあたためて、エネルギーは身旺。
辛金の通変星は「食傷」が亥水の財星にエネルギーを洩らして、財星を助け、財運を呼び込みます。
食傷が生財する、自分が持つ才能をどう表現するか?、アピールして目立つ存在になるかが課題。
辛金の食傷が2個。
辛金はダイヤモンドやゴールドなどの貴金属、または金属でできた一流品・高級車などがイメージですから、持って生まれた才能やセンスは人より秀でたものがあったと想像されます。
丑土の劫財が泥となって、辛金の輝きを邪魔していますが、これが無邪気な少年がそのまま大人になったようなかんじ?傷官の鋭さを抑えて食神的にしているのでしょうか?
午火の印星が吉に働いている命式ですから、母親からの愛情をたっぷり頂いた優しい性格やゆたかな才能を持っている傾向が想像さらます。
新庄剛志さんは、野球だけではなく画家としての評価も高かったり、会社を経営したりと多才です。
日支の午火→日干戊土→月干・年干辛金→年支の亥水へと流れ、社会・世間においていかに目立つ存在になるか!が課題。
偏財は商売人の星、人に喜んで欲しい、楽しんでほしいと尽くします。
戊土が辛金を生むことから、奉仕・ボランティア精神となり尽くす傾向が想像され、これが天職の世界にもつながります。
また、通変・食傷と偏財の組み合わせは人気運。
目立ちたがり屋で、相手の気持ちを汲みとりつかむのが上手。
大衆に愛される人気運を持ち、雰囲気に華がありますから、人に奉仕することによってさらに、人気運や財運が強くなります。
また、「偏財」は流通するお金ですから、貯蓄や不動産などの財産よりもお金を回転させたいという傾向があり、お金に執着はあまりなく、無頓着の傾向がでます。
命式の特徴は天干に傷官が二つ並んでいます。
これは、完璧主義者の傾向があり、印綬との組み合わせもありこだわりがとても強く、中途半端なことは嫌います。
さらに月柱が空亡は、やり手?
傷官2個と劫財が破天荒な発言や常識を覆す、人と違う発想の要因となっているようです。
劫財と印綬の組み合わせに傷官2個が、平凡や常識を嫌い非凡な創造性と言語能力となっています。
バリに移住後、ブラシアート?という絵を始めたみたいですが、アートの世界にも才能があり画家という肩書もあります。
プロ野球でも「傷官」は独自の感覚の鋭さが発揮され、技術的な面で優れた活躍をされました。
傷官と印綬の組み合わせ・特殊な才能を発揮してアウトプットすることによって、財に流れて財産が強くなります。
劫財は自己中の傾向がありますが、仲間・特に目下への思いが強くで平等な仲間関係を作ろうとしますが、傷官との組み合わせが邪魔をして、なかなか思うようにいかないという悩みを抱えます。
結局は、自分が上に立つ集団をつくるか、仲間意識というものを諦めて、単独行動という方向性に向かうのか?
傷官が二つ並ぶのに、何故大衆人気があるのか?
また、新庄劇場と言われる発言に毒を感じさせないのか?
これは戊→辛・辛→亥水 に洩らしている、傷官のエネルギーが偏財に流れることによって丸くなっていると考えられます。
「傷官」の伝達する能力・自己アピールの目的が「偏財」の人を喜ばせたい、一緒に楽しみたい為という気持ち・性格が加わり、まずは他人の気持ちを考えてから話す、言葉を選んで話すことで傷付ける言葉を控えることになります。
また、午火の印綬が傷官の鋭さを抑え、傷官から財にエネルギーを洩らす流れが、傷官の凶作用が出ない傾向となっていると考えられます。
月柱の劫財
月柱支の丑土・劫財は基本的に、おおざっぱ。、
「比肩」がきちんと管理したいとしたら、劫財は大らか・こだわらない・どんぶり勘定の傾向。
新庄剛志さんが20年間信頼してお金の管理を任せていた人物に20億円使い込まれていたそうですが、財産の管理や税金のことなどは苦手な傾向があり、細かいことは苦手でしょう。
騙されていたと知った後のコメントも、新庄剛志さんって太っ腹!、
新庄剛志1972年1月28日の結婚
1993年(癸酉)22歳
大河内志保さんと出会っています。
戊から癸は正財・妻の星であり、干合して出会いや恋愛運がつよくなっています。
辛の傷官が酉金が根となって、自己アピールのエネルギーが強くなり発展運。
2000年(庚辰・食神)29歳
庚辰・食神
戊土は辰土が根となって、十二運は冠帯となり、決断力が増します。
辰は4月を表し、陽の土。
戊土の行動範囲が広がるとか、安定した環境を手にいれるなどが想像されます。
大河内 志保、1971年10月31日
年 辛亥
月 戊戌
日 己丑
空亡 午未
己丑の日生まれ。
戊戌月に生まれて、土が4個あり、高い山が遠くに見える広い大地の風景。
比肩・劫財が4個、己丑は大地ですから優しい女性と想像され、尽くすタイプ。
しかし、戊戌の気高さもあり、自立した女性の傾向。
高い山には、清らかな水が流れています。
月柱と日柱に丑と未の刑・冲があり結婚が安定しない傾向。
新庄剛志さんと互換空亡。
2007年(丁亥)
12月28日に離婚
新庄剛志大運
新庄剛志さんは、1989年にドラフトで阪神球団に指名5位でプロ野球入りしています.
、
新庄剛志選手が引退したのは2006年・丙戌(ひのえいぬ)34歳の10月。
比肩・劫財の土性の時期び野球選手として活躍していますが、丙や甲の守護神の時期ではないです。
それでも彼が成功したのは、身旺という強いエネルギーの持ち主であり、子丑空亡の初年運・生家を出て自立、自分で運を切り開くことに挑戦したことでしょうか?、
ちなみに、新庄剛志選手は練習している姿を人に見られるのが嫌で、他の選手が練習に来る前に済ませていたそうで、天才というパフォーマンスには隠された努力があった!
辛・辛の傷官のプライドの高さはこんなところに隠れていました。
37歳 ~ 47歳 丁酉 印綬 死
47歳 ~ 57歳 丙申 偏印 病
57歳 ~ 67歳 乙未 正官 衰
大運は38歳~47歳丁酉
丁酉・印綬
辛金は丁火によって表現方法・自己アピールのしかたを変えることが要求される、または自分が変わりたいと思う時期。
辛金にとって丁火・燃える火は天敵。
丁・午火と辛・辛・酉金の戦い。
変化を恐れてはいけません。
酉金が根となっていますから、溶けて無くなることは無いと想像されますが、多少のトラブルや苦労が伴う成長過程。
バリ島に住んで、値切ることを覚えた。
少しでも安く買い物をするように心がけるようになった。
お金がない生活を楽しんでいる。
などの情報がありました。
48歳~57歳・丙申
丙申(ひのえさる)
辛金の貴金属が丙の太陽の陽射しにキラキラと輝く運気。
この10年は」テレビなどの露出が少なかった新庄剛志さんですが、これからまたどんなパフォーマンスで新庄劇場を楽しませてくれるか楽しみな運気になりました。
2020年(48歳)、プロ野球に戻ると宣言!
プロテストを受け、6日間だけオファーを待つということですが、どうなるのでしょうか?
2020年(庚子・食神)・2021年(辛丑・傷官)の洩星の空亡が巡っています。
空亡は一般的な占いでは悪いとされますが、泰 りかは大きな変化運とは思いますが、吉とでるか凶とでるかは、これまでの生き方や考え方によって評価がくだされることであって、決められないし、わかりません。
新庄剛志さんの大運は丙・吉と想像したいと思います。
丙火が午火とともに強いエネルギーとなって、戊土をい暖めます。
また、辛・辛の金星は申金を根として強いエネルギーとなります。
辛金・傷官に丙の証明が当てられて、その輝きに注目が集まることが想像されます。
2021年・辛丑・傷官。
空亡年ですが、月柱との併臨となり、大きな変化運が待っているようです。
まずは、プロ野球、どの球団が手をあげるのか?
期待して見守りたいと思います。
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